④当山に関する伝説など
当山に関する伝説など
誠徳寺 略伝 昭和45年版参照。
一、 けんちん
水海には冬になると町ごとに総報恩講をつとめる習わしが平成初期まであった。その講のお膳の品にけんちんという馳走がある。これは野菜を切り刻み油で炒めて煮たものであるが、伝えによると北条時頼公来訪越冬の折、当時鎌倉建長寺においてつくられた精進料理を教はりならわしとして毎年つくり伝えられたもので、けんちんとよび風味ある料理である。
二、 誠徳寺蔵物の七條袈裟
昔、当山某家の葬式があり、当時鯖江本山の管長様がお籠にのってこられる途中、板垣坂の上で一瞬休憩、かごかきに向かって「今日の葬式は不吉だぞ」と云われた。その葬式が始まり誠徳寺住職、棺前に焼香をしようと進まれた時、一天にわかにかき曇り、いなづまとともに不意に棺の蓋がとび上り、住職思わず一足後へさがる。正座の管長予期のごとくと「水海水海ひきようなり」とはげまされたので、住職気をとりなおし、自分の召している七條袈裟を棺にかけられる、と同時に袈裟の一部がくろこげやがて棺は元の様にしづまる。「先世のむくいで火の車のおむかえだ」と村人が云いふらしたが豪けつの故に世の恨みがのこったと伝えられる。
袈裟は今尚、当山の宝物として蔵物になっている。
三、 朱房の念珠と客末寺
当山は古来より自檀にて、誠照寺へ帰山した故直参とは区別し、客末寺となり、独自で納骨処をもっており、誠照寺と同じ誠の字を寺号にもっているのをみても、随分と力をもっていたものと伝えられ、文化の頃の本山無住時代には西福寺と江戸くじをした証文などあり、山十三ヶ所をその費用にあてたとか伝えられしが昭和の火災にてその書類は惜しくも灰じんに帰した。
本山より誠徳寺の功績に対し、現在も朱房の念珠を特に許されている。