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①誠徳寺略伝_一.開基

誠徳寺 略伝
其の一、開基

誠徳寺の歴史
(海印山誠徳寺 略伝より「昭和15年刊、昭和45年刊」)
  主に昭和45年刊行を記す。

一、開基
 当山、誠徳寺の先祖にあたる加茂二郎義綱(かものじろうよしつな 源義綱)という者がいた。その者は源義忠に危害を加えたという疑いをかけられ、江州(ごうしゅう 現在の滋賀県)の甲賀山に引きこもり悶々とした日々を送っていた。
遂に天仁二年(1108年)4月9日、鳥羽天皇の時代に、この僻地にひとつの寺院を創建した。義綱は仏道に帰依し天台宗の僧侶となり、俗名である義綱をそのまま僧名として、義綱法師(ぎこうほっし)と名乗られた。
天台宗の寺院として平泉寺(勝山市)の末寺となり、寺院は湖の南二丁(約200メートル)、愛宕山のふもと、穴原口というところに建てられた。これが誠徳寺の開基である。
 この開祖である義綱法師以来、その後、現当山の宗派である浄土真宗に改宗された祖全法師に至るまでの間、たびたび火災にあい、由緒書きなどはほとんど残っていない。

【〔昭和15年刊行参照〕天台宗であった時代は355年間とされており、改宗してから約478年たった。故に誠徳寺創設(1107年)から833年(1940年)がたった、と記されている。
現時点(令和7年)からすると改宗から564年、創設から919年が経過したこととなる。】

伝えられるところによると、開祖以来140年余り後。建長四、五年(1252~1253年)鎌倉時代のころに鎌倉幕府の執権、北条時頼公が人々の暮らしぶりを視察する為、身分を隠し諸国を巡回しておられた。
その道中、美濃(岐阜県)の街道より北陸の裏街道にあたる、この水海まで訪れた。その際、思いがけず初冬の大雪にみまわれ道も閉ざされ、やむをえずしばらくこの水海に数十日間滞在された。
そこで村人たちは、時頼公をなぐさめる為に田楽を披露してもてなした。時頼公は大層気に入り、その返礼として、能の舞を村人に教えた。その習わしが後々まで、当地の氏神神社に伝えられている。
また当山への謝礼の意を込めて、境内地を1100余坪、念仏田3畝(せ)余歩(約3アール)を仏に供養するために賜わった。それ以来当寺の末端の土地となり、前に示していた寺院を移転し、現在の地にて建立した。(明治時代に国が治める土地となり、昭和になってから寺の所有地となる。)
そのため、北条時頼公の徳を慕って、「北条相模守時頼(ほうじょうさがみのかみときより)入道最明寺殿(にゅうどうさいみょうじでん) 釈導祟大禅定門位(しゃくどうすうだいぜんじょうもんい)」と書かれた位牌を本尊脇に安置し、日夜礼拝するのである。

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